スピリットから神が生まれる?

中沢新一カイエ・ソバージュ4巻目。「熊から王へ」で、王がどのように誕生してきたのかを明らかにするように、どうやって神(一神教の言うところの唯一神)が生まれてきたのかを明らかにしていく。

神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉 (講談社選書メチエ)

神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉 (講談社選書メチエ)

 一神教には唯一神が、多神教にはカミが、アニミズムにはスピリットが対応する。唯一神はキリストを考えればいいし、カミはコノハナノサクヤヒメでもポセイドンでもいいけど、スピリットのイメージがつきづらい。スピリットのイメージは座敷童だという。

・スピリットは周りを閉ざされた空間の中にいつもは閉じこもっている。
・スピリットはその空間からデリケートに出入りをおこなう。
・スピリットが住処とする中空の空間はまた、さまざまな「増殖」のおこなわれる空間でもある。

ああ……これは……どうみても「虫」です。本当にありがとうございました。というか、スピリットのイメージは明らかに、小さくて弱い、多様な生きものから来ているように思う。中沢さんのイメージでは、妖怪だそうで。
 一昨年〜去年くらいにかけて、妖怪人気が高まってきていると思っていて、去年の夏は横須賀美術館、横浜そごう美術館、三井記念美術館で妖怪展の同時開催があったりした。妖怪の絵をよく書いていた歌川国芳の人気も同時に高まっているようで、今年の大浮世絵展では、北斎や広重と並べて紹介されるほどになっていた。妖怪好きはスピリット信仰(?)への回帰傾向なのかな、とも思う。僕も生きものとか、民芸品に表される動物とか、地域の妖怪とか、けっこう好きなので、アニミズムと相性はいいのかもしれない。
 スピリットのなかにも、ちょっと偉いスピリットが高神になって、そうでもないスピリットは来訪神になる。そしてやがて、高神が唯一神になる。唯一神は、人類の思考のなかから自然に生まれ得るものであった、ということだそうで。ストーリーとしてはおもしろいけど、完全には納得できない。仮説では?
 後半のメビウスの輪とか、トーラスの話も、「比喩じゃん!」と思った。もちろん、比喩であることは比喩であって良いと思っていて、自説をわかりやすく説明していると思うけども、それはあくまでも物理現象と似たカタチで説明すると、わかりやすいよね、というだけのことであって、根拠にはなっていない。まあそもそも、証明できるような類の話ではないようにも思うけど。
 レヴィ・ストロースがやったみたいに、神話を構造化する手法としてはいいのかもしれないけれど、成り立ちを明らかにするときに使うのはありなのかな?とはいえ、「どうやら理屈はよくわからないけれど、こういう構造で説明するとうまくいくね」は学問の黎明期として捉えるなら、取り得るアプローチとも思う。
 終章では、ここからどうしていけばいいか?という話にも触れている。スピリットの存在を見直すべきだ=対称性を取り戻せ!ということなんだろうけど、もし、これだけだと、ただの懐古主義っていうか、都市を離れてコミュニティつくって、農業して暮らしますか、という結論以上のことは出てこない。
 とはいえ、グローバル社会を全否定して過去に回帰するには、グローバル社会は多くを解決しすぎてきたと思う(もちろん、功罪も多いけれど)。情報化された、均質化された社会を否定するんじゃなくて、その上に「スピリットが再び宿るような」(=固有性・多様性を肯定できるような、適度に遊びのある)社会を、増築でもいいから築けたらよいな、と思う。

カイエ・ソバージュ読後記録
カイエ・ソバージュ(1/5):秩序ををひっくり返す装置として
カイエ・ソバージュ(2/5):伴読部第3回『熊から王へ』
カイエ・ソバージュ(3/5):『愛と経済のロゴス』はだいたい贈与論
カイエ・ソバージュ(4/5):スピリットから神が生まれる?
カイエ・ソバージュ(5/5):対称性の復活