社会を作れなかったこの国がそれでもソーシャルであるための柳田國男入門

「社会を作れなかったこの国がそれでもソーシャルであるための柳田國男入門」を読んだ。ずっと、このブログでは柳田國男のことを「ラスボス」呼ばわりしてきたけども、やっぱり、柳田國男はラスボスだった。これまで、遠野物語そのものとか、赤坂憲夫の遠野物語ガイドとか、中沢新一の南方熊楠本とか読んでて、ああ、柳田國男って、ちょっと僕とは違うな、というか、すごくロマンが強くて、現実に対処するより、そういうロマン的なものに回帰するのが好きな人なんだな、っていう印象だった。だけど、それは実は一面的な見方で、そういうロマン主義的なところもひとつの極としてはあったけど、一方で超がつくほどのリアリストであり、実践主義者であったということだ。正直、もう柳田國男はいいかな、と思っていたところがあったのだけど、これはちょっと裏ボスというか、倒したと思ったけど、実は裏モードではぜんぜん歯がたたなかった!みたいな感じ。

 角川EPUB選書の一番後ろには、「角川EPUB選書発刊に際して」という、新書や選書にはつきものの文章が載っている。ここでは、ツイッターの登場やソーシャル社会の到来などを見据えて発刊していることが記されていて、IT依り、インターネット依りのセレクトであることを伺わせる。だけど、大塚英志は冒頭からいきなりソーシャルな雰囲気に喧嘩を売り始める。ソーシャルとかいっても、ニコニコ動画でMADにくだらんコメントしてるだけだし、Facebookで疲弊してるだけでしょ?企業サイドから見たって、そういうソーシャルの群れからいかにお金を集めるしか考えてない。そんなん、ソーシャルなの?社会の問題を解決することになるの?っていうか、そもそもそれは「社会」と言えるの?という踏み込みをするわけですよ。で、そこまでなら、まあ、アジってるだけかな、と思うんだけど、それで終わりじゃなくて、実はweb上でソーシャルとか言う以前に、日本では「社会」をつくりそこなってんだけどね。と言われる。この時点では、なに言ってんだ、と思うのだけど、読み進んで柳田國男がなにを実践してきたのかを見ていくと、ああ、確かにこの国は「社会をつくる」ことに失敗したんだな、とわかった。
 2012年が柳田國男の没後50年だったわけで、僕が柳田國男に触れ始めたのもその頃だったわけだけど、「これを機に!」と発売された柳田國男本は、ほとんど彼の文学的な側面に光を当てるものだった。民俗学、妖怪、怪談ブーム。
 僕が柳田國男について至った結論は、柳田國男は日本人に『物語』を提示することで、近代化・都市化の進む日本において、日本人はどこから来たのか?というルーツの解答例を提示して、精神的にはひとつではなかった各地域の人びとに、日本人としてのまとまりを与えようとしたんだろうなぁ、というものだった。これは、ある意味で正解であったけど、そんな漠としたものよりも、もっと明確に求めたものがあったという。田山花袋の小説には、柳田をモデルにしたキャラクターが出てきて、こう言う。

『僕はもう詩などに満足していられない。これからは実際社会に入るんだ。戦うだけは戦うのだ。現に、僕はもう態度を改めた!』『詩などやめなくっても好いじゃないか。』『それは、君などはやめなくっても好いさ。君などはそれが目的なんだから……。けれど僕は文学が目的ではない。僕の詩はディレッタンチズムだった。僕はもう覚めた。恋歌を作ったッて何になる!その暇があるなら農政学を一頁でも読むほうが好い。』

これですよ。もう、涙がでるほど共感する。現に柳田は農商務省に入って、農民の生活がどうすれば良くなるか、ということを考え続ける。普通選挙法の施行に加担する。普通選挙が実質的に機能するには、有権者の育成が必要と考えて、自身の学問をある種の社会運動にしようと、民俗学の入門書や組織をつくる。こういうことをやっていった人間だ、と。大塚英志はこんなふうに言っている。

「公民の民俗学」構想は一貫して「公民」、つまり「社会」を自ら作り上げていく担い手を具体的に作っていくマニュアル作りであり、その実践だった、と言えます。

「賢こくなる」のは「私たち」でも「農民」や「民衆」や「日本人」でもないのですね。そうではなくて「社会」が「いくらでも賢こくなれる」という言い方であることに注意しましょう。「社会」というのは「問題解決の枠組み」であり、主体なんですね。

「絆」とか「つながり」と呼ばれて情緒的に美化されているものを柳田はこの時、むしろ疑っているんですね。

驚いた。壮大なロマンチスト、強大な文学の磁場、そういう存在だと思っていた柳田國男がこれほどまで社会に対する意志を持ち、実践的な人間だったとは。何より、柳田國男が「公民をつくらなくては」と考えたころから、日本の社会はほとんどなにも変わっていないのではないか。大塚英志が「柳田國男を学べ」という理由が痛いほどわかる。もう一度、柳田國男とその周辺を学んでいきたい。ロマンチストでありながら、最後まで実践的だった人間について