あれ?絶対ここに置いたはずなんだけど?

20代後半から30代前半、自分なりに旅をして

 それほど広範囲に見たわけでもないけど、ただ、足で回る。意味もなく。宗教に関心があるわけでもないけど、寺社や墓を目安に回るというだけで、そうやって、歩き続けると、奇妙な歴史のようなものがなんとなく見えてくる。というか、膨大な無名な人がさまざまに死んでしまったという奇妙な実感というか。

 そうそう。
 ふつうの街でも、ただ歩いて回るだけで「見えてくる」ものがある。奇妙だと感じるのは、その光景が想像力によって補完されたものだから、かもしれない。 
 ところで、僕はそれを再現可能なかたちに残すことができない。写真を撮っても、絵に描いても、文章で残しても、それらの媒体が、そのときの実感を呼び起こすことはない。失われているのだ。写真の中にも、絵の中にも、文章の上にも、どこにもない。確かに感じたはずの実感が、そこにはない。あるいは、僕自身が再現できないのか。
 昔は、それがすごくもったいないような気がした。理不尽であるとさえ思った。他人に伝えたいわけじゃない。以前の自分の感覚をトレースしたいだけなのに。そう思った。
 でも、今はそうでもない。慣れてしまったのだろうか?失うことに。