「ふつう無理ですよね」

 <注意>今日はネガティブだよ!

 僕は感情の起伏があまりないほうなんで、そんなに感情的にはならないんだけど、久しぶりに結構イラッとした。珍しいことなので、ちょっとこれについて考える。

あらすじ。
 パソコンのあるソフトが大学の窓口で借りられると聞いた僕は「まさか」とは思いながらも、聞きに行った。
「すみません」
「はい」
「○○がこちらで借りられると聞いたのですが・・・」
「ないですよ」
「あ、そうですか」
「ふつう無理ですよね」
(以下略)
 うーん、どこがひっかかったんだろうか?
 好意的にとれば、そのソフトは一般的には貸し出されるものではない、ということを伝えようとしてくれた、ととれる。いや、でも付加疑問文になってるから違うな。それぐらい知ってるよね、というニュアンスだ。それが無理なことは少し考えれば分かるよね、ということか?

 そこじゃないな。たぶん僕が気になったのは、「ふつう」という言葉だろう。「ふつう無理」であることと、それを実際行うか否かは別ではないか。もしかすると、僕はその言葉が、行わないことの言い訳をしているように感じたのかもしれない。

 確かに、そういった思考は嫌いだ。自分が観測できる狭い範囲にだけ基づいて、それが世界の普遍的なことだと考えること。それがあたかも正しいことであるかのように発言すること。ましてや、それがなにかの根拠になるような言い方をすること。

 そういえば、父がそのタイプだ。例えば、母はよくお好み焼きを作るのだが、あまり肉とかをいれない。父は「お好み焼きはふつう肉とか魚介類が入ってるものだろう」と言って、そのあとも不満を言い続けたりする。で、それが「ふつう」だとどうなるの?

 「ふつう」なことに理があるの?それに従わなきゃいけないの?嫌なんだよね、そういう考えが。「ふつう」であることになんか何も意味がないじゃん。別にひとりで納得するぶんには構わないけど、それで他人を、少なくとも僕を納得させられると思わないでほしいなって。