改修中の大河津分水に行ってきた

 大河津分水は、新潟県を流れる信濃川の治水対策として造られた放水路。現在の可動堰が造られたのは1931年で、約80年利用されてきたこととなる。見てきたのは、改修と言うより、現在の高水敷にまるごと堰を造る事業。最近は大掛かりな河川工事はほとんどないから、僕らの世代にとっては結構珍しい光景。
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 新しい堰は上下に動く引上げ式の門扉ではなく、ラジアルゲート(参考:http://www.suiryoku.com/g_v/g_tainter/tainter0.html)を採用するらしい。まだゲートはついていないけど、幅は40mということなので、完成したら圧巻かと。写真で見ると、円弧型にくりぬかれているところに扉体がはまることになる。
 ラジアルゲートを採用する理由は、

  1. トップヘビーを回避して、地震に対する抵抗性を高める
  2. 引上堰よりも堰高が低くなるので、景観に馴染みやすい
  3. 操作室を堰の上に持ってくる必要がないので、メンテナンスが容易


こんなところらしい。まあ四角い操作室が堰に乗っかっているのはドボクっぽいけど、個人的にはそんなに好きではないかな。
 表面は御影石を模した成分をコンクリートに吸着させたもの。担当の人にどれくらいの期間維持されるかを尋ねたところ、「あまり答えたくない」とのこと。前例もほとんどないそうなので、実際のところは分からないというのが現状だろうか。それでも、こういう「景観に配慮しているよ」というポーズは重要だと思う。今まではアピールが足りなかったと思うんだよね。
 魚道は3種類。ハーフコーンと、板で区切るやつと、底層に配慮したもの。アユとサケは既存の技術でほとんどカバーできていると思う。最近はウナギなんかにも配慮した魚道が多く、大河津分水でも採用している。イトヨが遡上したらいいな、と思うのだけど、それは圃場整備なんかの影響もあるかもしれないし、堰の問題だけではないのかも。所長さんは、「イトヨが見られたという話は聞いたことがない」と言っていた。
 古い堰は青山士(あおやまあきら)が関わった事業として有名。青山士はパナマ運河の建設に参加した、ただ一人の日本人。しかし、記念碑には彼の名前はなく、こう書いてあった。

萬象ニ天意ヲ覚ル者ハ幸ナリ
 FELICAJ ESTAS TIUJ, KIUJ VIDAS LA VOLON DE DIO EN NATURO.
人類ノ為メ国ノ為メ
 POR HOMARO KAJ PATRUJO.

下はエスペラントなのでよく分からないけど、「国」とは"nation"のことではない。英語の資料には"mother land"とあって、なるほど、と思った。