生命とは何か

「生命とは何か―物理的にみた生細胞」(シュレーディンガー)読了。
この本が名著とされる理由が分かった。

生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫)

生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫)

目次
 第1章 この問題に対して古典物理学者はどう近づくか?
 第2章 遺伝のしくみ
 第3章 突然変異
 第4章 量子力学によりはじめて明らかにされること
 第5章 デルブリュックの模型の検討と吟味
 第6章 秩序、無秩序、エントロピー
 第7章 生命は物理学の法則に支配されているか?
 エピローグ 決定論と自由意思について



 もちろん科学の読み物としても知的興奮度はトップクラスではあるが、本書のスゴいところは、思考の可能性を見せつけてくれるところだ。例を挙げよう。

この事情を追及して何らかの根本原理に達し、何故に別の事情では「自然」の理法に適合できないかをつきとめ、理解することができるのでしょうか?(P.21)

「想像しうる」ということを「本当に理解する」ということに換えるにはどうしたらよいのでしょうか?(P.133)

 「考える」「理解する」「思考する」。そのためにどんな問いを立てればよいのか?僕らの大好きな思索にふける上でクリティカルな問いが、そこかしこに散りばめられている。知的興奮を感じることができる本の多くでも、こういった基礎的な問いはおろそかにされていることがよくあって、そういうときに「あれ?」と思うわけだけど、それを無視していると、イマイチ意味の分からない結論まで導かれたりする。
 問いの立て方も秀逸だ。シュレーディンガーは例として「原子はなぜそんなに小さいのか」を挙げる。「本当の目的」を考えれば、この問いは以下のようになる。「われわれの身体は原子にくらべて、なぜ、そんなに大きくなければならないのでしょうか?」
 書いてある内容、すなわち生命に関する科学的な記述そのものも十分に面白いが、本書の本当の価値は、問題に対するアプローチの仕方、思考の積み上げ方にある



 余談だが、僕の「拡散」に対する理解が間違っていたことが発覚した。

マンガン酸カリ分子を、混雑している場所から、より空いている場所へ―ちょうど一つの地方の人口が、活動の余地のより多くある場所へと拡がってゆくように―押しやる何らかの力や傾向によって、このような現象が起こるのではないか、と考える人があるかもしれませんが、決してそうではありません。

 途中まで頷きながら読んでいた僕は、もう理系を名乗ることが憚られる。笑えないのは、研究で拡散方程式を少し使っているところだ。工学では、原理が完全に分かっていなくても、それなりに使えてしまう。ただ、「理解」のないモノや仕組みはいざというときに困ったことになるし、いつかはぼろが出る。短期的には「使えればよい」のだとしても、本当の意味での「理解」を積み立てておかないといけないと思った。というのが「工学頭の僕」の感想。