金沢城のヒキガエル

金沢城ヒキガエル」(奥野良之助)読了。
生物は、僕らが思ってるよりのんびり屋さんかもよ。

目次
序章 雨の金沢城
第一章 金沢城ヒキガエル
 魚から蛙への転向
 ヒキガエルのすべて
 金沢城ヒキガエル
第二章 最初の一年
 雨とヒキガエル
 秋、冬、そして春
 ヒキガエルの優雅な生活
第三章 繁殖
 ヒキガエルを繁殖に誘うもの
 オスとメスの出会い
 抱接と産卵
 抱接の成功と失敗
第四章 生まれてから死ぬまで
 卵・オタマジャクシ・子ガエル
 一歳以後の成長
 生き残りの率と寿命
 移動と定着
第五章 本丸ヒキガエル集団の盛衰
 ヒキガエルたちへの鎮魂曲(レクイエム)
 H池集団の始まり
 H池集団の盛衰
第六章 ヒキガエルの社会
 なわばりも順位もない社会
 繁殖”戦略”
 親と子の断絶−ヒキガエルの空想的社会機構
 障害のあるカエル
 あるヒキガエルの一生
終章 競争なき社会を求めて
あとがき

 アズマヒキガエルの分布域に囲まれるなか、金沢城に籠城するニホンヒキガエルと、その個体群を夜な夜な調査した研究者のストーリー。生態学の本でありながらドキュメンタリー。研究の話をしているのにエッセイ。生態学関連の本だと、「研究者以外は面白くないだろ」的な本が多いなか、本書はその飄々とした語り口と、たぶん、ヒキガエルへの愛で、かなり面白いものに仕上がっている。今年のベスト5に入るくらいかも。
 サブタイトルは「競争なき社会に生きる」ということで、著者はこう主張する。ヒキガエルは「競争」などという窮屈な原理には支配されておらず、彼らはもっとのんびりと生きている、と。もちろん、学術的には「競争」という原理が存在していることは百も承知だろう。では、夜になるとヒキガエルを探してうろついていた著者が「競争なき社会に生きる」として伝えたかったことはなんなのだろうか?

自然に住んでいる生き物は、どうしてこんなにたくさんいるのかと呆れるほど、多種多様である。その上、種が違えばその生活の仕方、生活様式もまた異なっている。それを、例えば「競争」といった一つの原理で統一しようとするのが、もともと無理なのである。

 複雑な対象を単純化して捉えないこと。特に、自分の置かれている社会状況を対象に投影しないことだ。よく、「○○がすべてだ」と語る人がいる。○○はお金でもいいし、男と女でもいい。もちろん、競争でも。ものごとが一つの原理に支配されているという解釈は自分を納得させ易い。客観性の重視される研究の現場でさえ、その影響から自由でないのだから、それ以外の社会では推して知るべし、だ。
 ところで、うーん、僕の文章は堅い。こんなふうに堅苦しくしか書けないようでは、著者までの道のりは遠い。