ありふれた昔話

 昔話をするにはまだ若すぎるけれど、急に書きたくなったので書いておく。とっても感情的な話。
 友人が聞いてきた話は単純なものだった。区画整理事業に伴っバイパスが造られる。湧き水の出る崖線と直行するかたちで。中学生のころ、生物採集に熱心だった僕たちは、そこがどういう場所かよく分かっていた。都市部には珍しい湧き水。水田と連続するちいさな自然。
 それを貫くように道路ができるというのだから、どうにかしなければいけない。そう思った。役所とか、河川事務所とか、自然保護団体とか、いろいろ話を聞いてまわった。どういう社会の仕組みが働いているのかよく分からなかった。それでも、僕らは建設に反対しなければならなかった。
 環境アセスメント。そういう仕組みがあるらしかった。その存在は僕らの希望だった。でも、少し調べるだけで、高校生にもすぐに分かった。明らかに機能していない。
 自然保護団体。例えば、僕らもそこに所属してなにかをする、という手があった。しかし、どうもなにかが違う。そこには危機感はあったけど、それだけだった。そこに行動はなかった。
 行政の人たち。悪い心を持った人はひとりもいなかった。同じように、現状を打開するなにかを持った人も、ひとりもいないように見えた。
 やがて、僕らは気づいた。どうやらこの計画はずいぶん昔から、それこそ10年以上前からあるらしい。反対運動も、もうほとんど終わってしまったようだ。いまさらなにかやったところで、もうどうにもならない。僕らは、なにもできなかったのだ。
 こうしてバイパスは造られた。僕がイメージしていたほどの地獄絵図はそこにはなかった。もちろん橋の下の植生はぜんぶなくなって荒地になってしまったし、林地の連続性もかなり低くなってしまった。それにも関わらず、僕の想像した「開発の爪跡」とは大きく異なっていた。
 疑問に思った僕は、自分の心理的な要素をできるだけ取り除いた。それは例えば、「立ち向かっている俺カッコいい」的な中二病であり、生まれつきのなんでも悪いほうに考えようとする性格だった。これらを取り除くと、だいたいイメージと現状が一致してきて、この辺の工法は環境に配慮したんだな、というようなことも見えてきた。
 得たものは大きかったと思う。ただ、絶望と不完全燃焼。この2つは、重くて、痛かった。外の環境のせいにするのは望ましくないが、それでも、こう思わずにはいられなかった。手遅れなどではない、なにかまだできることがあるはずだ、そう言ってくれる「大人」がいれば、もう少し違ったかもしれない。
 さて、僕はそういう人間に近づいているだろうか?