カール・テルツァーギ

「カール・テルツァーギの生涯」(リチャード・グッドマン)読了。
それまでの土は「いつ壊れてもおかしくないもの」だった。

土質力学の父 カール・テルツァーギの生涯―アーティストだったエンジニア

土質力学の父 カール・テルツァーギの生涯―アーティストだったエンジニア

目次
1.天才のルーツ 1883−1906年
2.ヨーロッパで実務に 1906−1912年
3.アメリカへの雄飛 1912年
4.低迷から戦争へ 1912−1915年
5.知的生活への回帰 1915−1918年
6.土質力学の誕生 1918−1923年
7.トルコでの展開 1922−1925年
8.アメリカで活躍し認められてもなお 1925−1929年
9.オーストリア学界トップの座 1929−1935年
10.ヨーロッパの生活に不満が高じて 1930年代中頃
11.二つの頂点−ベルリンとケンブリッジ 1935ー1936年
12.試される土質力学どん底へ 1936−1937年
13.学外のコンサルティング活動への逃避 1937−1938年
14.観測的手法の開発−戦時中のアメリカで
15.アメリカでの目まぐるしい日々−1940年代から50年代へ
16.ハーバードで、インドで、そしてブラジルで
17.冷戦下の政治と専門家証人の役割
18.ブリティッシュ・コロンビアからの挑戦
19.終焉への闘い

 土の工学などというものは、ずいぶん昔からあったのだろう。そう思っていたのだが、どうやらまったくの誤解であったようだ。カール・テルツァーギは「土質力学の父」と呼ばれた。つまり、それ以前、つまりほんの100年前までは、土のことなどほとんど分かっていなかったということだ。

サイエンスとアートとの境界

 いや、「ほとんど分かっていなかった」というのは正確ではない。正しくはこうだ。

土質力学は、サイエンスとアートとの境界に到着した。私が言う「アート」とは、ある段階から次の段階へと一々論理的な理由づけをしなくても、満足な結果に到達できる心理的なプロセスを示している。

 テルツァーギが土質力学を完成させるまで、構造物は「いつ壊れてもおかしくないもの」の上に建てられていた。それまでの技術者は、土に対する普遍的な理解を持って建設していたわけではなかったから。そのため、ダムはたびたび崩壊したし、建物は傾いた。当たり前のことだが、すべての構造物は地盤の上に造られてきた。
 一方で、彼は科学のみでも満足しない。実際の現象を軽視し、計算だけを行なって満足している計算屋も、批難の対象だった。微分方程式でいっぱいの原稿が送られてくると、それはあるファイルにしまわれる。そこには「精神病院」というラベルがついていたそうな。プリントアウトですね、わかります。

メモ魔テルツァーギの真髄

 テルツァーギは、膨大な量の文章を遺した*1。それは技術や工学に関するものにとどまらない。人生について、自然について、政治について、そのほかのさまざまなことについて。
 工学と表現力の両方に秀でた人物の書く文章は、明確に言語化できない部分を的確に捉え、表現してくる

君の性格は、君の科学的活動分野にも浸透してゆく。君は保守的であり、君の意見は確信へと発展してゆく傾向を持っている。

 一瞬、自分に言われたことかと錯覚した。工学的表現力とでも言おうか。テルツァーギの文章は、ファジイなところに切り込んでくる。

読書ガイド

 ところで、この本、誰に向けて書いたのか?コンシステンシーとかパイピングとか、なんの解説もなしで使っているあたり、一般の人に向けて書いてないよね。これは明らかに「内側」に向けて書いている。その辺、一般の方にはすこし敷居が高いかな。でも、それを差し引いても、テルツァーギの思考は読む価値あり。ちなみに、彼の講義のCD*2がついているのだが……これは聞き取れない。

*1:それゆえに本書も500ページ近くある

*2:超ドイツ訛り英語