多自然型川づくりを越えて

「多自然型川づくりを越えて」(吉川勝秀 編著)読了。
環境対策は、常に個別の文脈に沿う必要がある。

多自然型川づくりを越えて

多自然型川づくりを越えて

目次
第1章 多自然型川づくりをめぐる経過と展望
 1)川づくり、河川整備の経過
 2)従来の川づくり、河川整備の基本事項
 3)従来の多自然型川づくりの基本事項
 4)多自然型川づくりの問題点と今後の展望
第2章 多自然型川づくりを越えて:自然河川工学からの展開
 1)川の構造と河川生物の関係
 2)多自然型川づくりの生態学的な問題点
 3)自然河川工学論
 4)自然河川工学の実践
 5)自然河川工学の実践例
第3章 多自然型川づくりを越えて:空間デザインからの展開
 1)いい川とは何か
 2)河川の空間デザイン
 3)川の自然回復と空間デザイン実践事例
第4章 多自然型川づくりを越えて:都市・地域、流域圏からの展開
 1)自然的空間としての川の利用と活用
 2)都市・地域の「空間としての川」の再生、利用
 3)渇水、洪水、水質対策
 4)生物のすみ場としての河川
 5)自然と共生する流域圏・都市の再生

 多自然型川づくりが始まるに至った経緯、生態学からの視点、土木工学からの視点、そういったものがまとめられた一冊である。
 生物の視点からの記述は妹尾優二という方で、北海道を中心に活躍されているそうである。読み進めていて、フクドジョウやオショロコマなどの北海道にしか生息しない魚類が頻繁に登場したため、巻末を見てみると、そういうことであった。そこで、多自然川づくりに関する1つの懸念を思い出す。地域固有の文脈に沿っているか、ということである。
 ある論文を読んでいた。それは、河床にある礫と礫との間の空隙を評価する手法に関するものであった。その手法とは、なんと、礫と礫との間に三角定規を差し込み、サイズを計測するのである。びっくり。なんとアナログな手法だろうか。
 実行可能性を頭のなかでシュミレートする。僕が多摩川に行って、三角定規を礫間に差し込む……ちょっと想像できない。その光景が滑稽だからでは決してない。それは、おそらく、駄目だろう、という予想によるものである。
 たぶん空隙は三角定規を差し込めるほど大きくないし、どの空隙を選択するべきかは相当難しい問題となる。じゃあ、著者のアイデアは机上の空論だろうか?そこまで考えて、ふと気づく。著者のフィールドでは有効な方法なのではないか?
 西の川を思い出す。高校のとき魚を採った旭川(岡山)。学部のころ旅行に行った淀川。サンプル数は少ないが、なんとなくわかる。西日本の川は細かい砂礫の上に抱えるほどの大きな石がのっかっている。関東の川はそうではない。中くらいの礫が積み重なっている。
 西南日本東北日本は、糸魚川-静岡構造線を境に地質構造がまったく異なる。川の傾向もかなり異なる。だから、使える手法も異なるのだろう。
 ええと、話が拡散してしまったが、何を言いたいかというと、環境は地域によってぜんぜん変わってくるということだ。全国一律の環境対策は有効ではない。多自然川づくりに関しても同じことである。「こうすればうまくいく」というケースは、その地域であったからうまくいった、と考えるべきである。環境対策は、常に個別の文脈に沿う必要がある。なぜその地域に、そのような環境が成立しているか、ということが常に思い返されなければならない。