違いのわかる男(アクセントの)

「違いのわかる男」という言葉がある。
 「違いのわかる男」というのは、例えば缶コーヒーとかそういう安っぽい商品どうしの、ほとんどありそうもない違いを判別できるらしい。そんな違いが分かるなら、商売のための心理誘導にはとっくに気がついていることだろうとは思うが、「違いのわかる男」、なかなか良い響きである。
 僕も「違いのわかる男」を目指して、日々精進しているつもりだ。先日も、こういうことがあった。
友人「うちにドンブリがなくってさぁ」
僕「ドンブリ?ドンブリじゃなくて?」
 極めて短い会話だが、みなさんおわかりいただけただろうか?違いのわかる男性あるいは女性だろうか?*1。もちろんお分かりだと思うが、友人はドンブリのドにアクセントを置いたのに対し、僕はすべて平坦に発音するのが自然ではないのか、と返したエピソードである。
 標準語ユーザなので、僕は自分のアクセントにほとんど絶対的な自信を持っている。しかし、アクセント(というか文字ごとの音の高低?)ごとにニュアンスの異なる言葉もあるような気がする。
 例えば、「クマ」だ。「動物の熊」と「目のくま」のことではない。どちらも動物の熊についてだが、「く」にアクセントを置く(「く」が高い)「クマ」と、平坦に発音する「クマ」である。
 都会の人は、前者の「クマ」を使う人が多い気がする。どうも、前者の「クマ」は怖くないというか、要するに「ある日森の中くまさんに出会った」の「くまさん」である*2。生物としての強さや恐さが削ぎ落とされ、キャラクター化された表現のように感じる。「くまのプーさん」もこっちだ。文字を当てるなら「くま」(ひらがな)だろうか。
 田舎の人は、後者の「クマ」を使う人が多い。これはもう断然恐ろしい。三毛別羆事件というほどではないにしろ、なまなましいというか、少なくとも森の中でうかつに出会ってしまいたくない印象がある。文字を当てるなら「熊」だと思う。「熊のぷーさん」では「熊さん・八っつぁん」の熊さんがフリーターであることを非難しているようだし、「熊野ぷーさん」では、世界遺産に便乗したキャラクターグッズである。
 以上は、まったくもって僕の個人的な印象を述べただけなので、あしからず。そして、もうひとつ注意すべきことがあるとすれば、こんなことを考えていても「違いのわかる男」までの道のりは、一向に縮まらないということだ。

*1:国際会議ではこのような言い方は許されない。「適切な計画の策定には、女性の参加が必要です。そして、すべての人種、民族の参加が必要です」などのように宣言しないといけない

*2:童謡のなかでもそのようなアクセントで歌われているはず