広告とクリエイター

 友人が広告をつくる会社に入るという。
 以前、テレビのコマーシャルとか見ないよーという話をしたことがあったので、彼は僕が広告を嫌いだと思っていたようだ。僕は広告という存在そのものが嫌いなわけではない。興味のある広告は積極的に見たいし、コンテンツとして優れた広告は繰り返し見たいとすら思う。
 広告の展開可能性について言えば、この2つしかないだろう。つまり、Googleみたいに、その広告を欲している人にピンポイントで広告を提供する。あるいは、広告そのものの価値だけではなく、コンテンツとしての付加価値を持たせるという方向性。テレビを1時間見ていれば、面白いCMのひとつやふたつはある。
 ピンポイントの広告提供はシステムの課題がたくさんあって、コンテンツ志向の広告提供はクリエイターの領域だと思う。友人はクリエイターよりだったと思うので、後者を少し考えてみた。
 広告がコンテンツとして面白いと評価されるときは、少し下駄を履かせてもらえる。「広告のくせに面白い」ということだ。少し否定的に書いたけど、「下駄を履かせてもらってずるい」という発想ではない。コンテンツぷらす本来の目的とは別のことやってる的な「無駄」の発想である。無駄と言うと、否定的なニュアンスにとる人が多いかもしれない。ならば、「遊び」である。ハンドルのあそび。余裕。クリエーターとしても、それを負い目のように捉える必要はないし、面白い広告なら、もう断然ウェルカムである。
 ところで、「広告」というと「金を稼ぐためにやっている」みたいな評価がつきまとうのが嫌だ、と友人は言っていたが、なんだろう、みんなそういう評価をしているのだろうか?今のところ、「金を稼ぐためにやっている」以外の仕事はないと思うし、それ以外のものはボランティアだろう。
 やはりクリエイターと金儲けは相反する、対立する存在だ、みたいな思想が一般的なのだろうか。確かに、金銭のやりとりが発想や表現を規定してしまっている、というのはあるのかもしれないけど、でも別にそれってお金に限らないよね。時間、人間関係、時代、社会、環境、なんでも発想や表現を規定するものだ。これらをすべて取り去ったら、じゃああとはなにが残るの?