母なるメコン、その豊かさを蝕む開発

「母なるメコン、その豊かさを蝕む開発」(リスベス・スルイター)読了。
以下、「開発か環境か」禁止。

母なるメコン、その豊かさを蝕む開発

母なるメコン、その豊かさを蝕む開発

目次
タイ
メコンのやつにしっかり栓をしろ/ハゲタカ農業/魚/セーンパー村/寺院と樹木/水があれば/希望の地/渡り鳥/イサーンの生活/河岸の光景/ムーン川の力/魚に仕掛けられた戦争
ラオス
現実/さらなる現実/ナーカーイ高原/眠れる美女メコンの町/失われゆく土地/シーブンフアン村/一歩一歩/ラオスの海/セーコーン川/ダイナマイト/人魚魚
カンボジア
メコンの贈りもの/稲作に生きる人々/生命を守った魚網/穴だらけの大地/サトウヤシの川/クラントレア村の未亡人/プノンペンカンボジアの心臓
ベトナム
ブッシュ大統領の神/大地の酸と塩/葦平原/農民と木/コメ、道路、そして珍しい鳥たち/ピンク色の黄金/定説と多様性

「当局には森林に関して基本となる政策がない」とソムバットは言う。「商業伐採のために伐採権を与えたかと思うと、今度は国立公園にしようとしたりするのです」

 なにかひとつのことを解決して、ほかの問題を引き起こしているのであれば、それは真の解決であると言えない。それを、一時的なイデオロギー的なものに引きづられて解決案を提示してしまう例のどれだけ多いことか。
 ちょっと抽象的に書きすぎた。上で引用した部分は、タイの森林管理の例。発端は、国会議員が森林伐採権を購入したことだった。その地域はソムバットを含む村人の入会地だった。
 入会地というのは、村とかの地域共同体が共有で利用する土地のこと。経済っぽく言うと、コモンズ(wikipedia:ローカル・コモンズ)。
 で、ソムバットたちは反対運動を起こして、森林伐採を阻止することに成功した。ここまでは良かった。この後、政府がその森林を国立公園に指定した。
 ここが問題である。つまり、国立公園に指定されたら、村の人たちは森林を利用できない。つまり、コモンズの悲劇(wikipedia:コモンズの悲劇)を防ごうとして、コモンズを誰も利用できない状況にしてしまったということだ。それはもう、コモンズではない。
 「開発を重視した結果、環境を破壊してしまう」という問題は「環境を重視した結果、社会を破壊してしまう」という問題と根を同じくしている。ひとつの価値観に固執していること。長期的な視点を持たないこと。想像力が欠如していること。
 いままでの開発による悲劇は、本質的には、こういった問題の繰り返しであるように思う。きっと、環境社会学などの分野ではもっと議論が進んでいることと思うが、どうなのだろう?
 本書では、メコンにおけるこうした事例*1が、フリーランス写真家の視点で語られる。この手の本にありがちな、「それでも、地域の人々は力強い」みたいな根拠不明の幻想が紛れ込んでいないところに、著者の強さを感じる(根拠不明の幻想)。

 

*1:開発が社会・環境を破壊する事例が多い