生活のターニングポイント

 引越しが一段落して、ようやく生活が落ち着いてきた。しかし、本も読めていないし、ブログも3月に入って、これが最初のエントリとなる。今はまだ慣れないが、そのうち、昔の生活の感覚も忘れていくだろう。少し寂しいような気もする。
 子供のころ、家の外の「夜」は特別な空間だった。塾の帰りが遅くなると、見慣れた景色は見慣れないものになっていて、新鮮な感覚を覚えたものだった。気分も少し高揚する。
 それが高校に入るあたりでは、「夜」というのは完全に「時間の一区切り」になってしまった。特別な空間ではなく、代替可能な時間のヒトコマになってしまった。
 「夜」に関して、昔の自分と今の自分では明らかな断絶があるように感じる。それでも実際は連続しているはずで、この感覚の違いが過去の自分に対する「郷愁」を産むのだろうか?具体的になにをしたかはさっぱり思い出せないのに、昔の感覚だけが残骸のように残っている。
 この断絶を産むのは、間違いなく「慣れ」だ。「慣れ」は自動的にやってしまうことなので、意識して止めることはできないだろう。お坊さんなどはそうではないと聞いたことがあるが、そうありたいかと言われれば、ちょっとどうだろう?二の足を踏んでしまう。
 今はまさに、その「慣れ」を促進する装置がからだのどこかで全力で働いているような感じだ。もちろんそんな感覚はないが、たぶん未来から客観的に振り返れたら、あたかもそう見えるだろう、という推測である。