異質なものをどうつないでいくか?

今後の治水対策のあり方に関する有識者会議
の第3回議事録を読んで、ちょっとピンときたところがあったので、

違う質のもので融合させるというのはきっとできるという観点に立たないと、どれもそれぞれ別々では行き詰まってしまうに決まっているわけですから、さっき若い研究者が技術的なことということで進展がなくて、研究に興味がないという話が出ましたが、これからの研究の興味は、異質なもの、信頼性の違うもの、それから、実行性の違うもの、フィージビリティーの違うもの、こんな政策をどうくっつけるかというところにあるのでしょう。それには先ほどから話に出ている、国土管理にかかわる、河川局だけでなくて、道路局、都市局、それから、農水、いろんな違う部局がやっているにもかかわらず連携が取れていないところも同じ話でしょう。異質なものをつなぐやり方については、方法論として、何を確立すれば、そういうものに対してドライビングフォースが働くのかということが新しい研究テーマとしてあり得ると思います。そこのところが、そこしか突破口がないというふうな気がします。

 強調は僕の仕業です。ここだけ抜き出しても、ちょっとわかりづらいのだけど、一言で言えば、自然を相手にするというのはどういうことか?という話。
 これまでの社会の流れは、明らかに均一化・一般化にあって、河川行政もそこからフリーではなかった。
 日本のダムの規格は国際的なものと同じだから、海外に行っても通用するし、なにより、ダムさえつくればよい、という流れこそが均一化である。もちろん、これまではそういうやり方が効果的だったわけで、その流れを否定するつもりはあまりない。
 しかし一方で、自然は均一ではない。だいたい、なにかがすべて同じように見えたり、単純だと思うようであれば、それについてほとんど知らないと思って間違いない。日本の地方都市が個性を失っていることはよく指摘されるが、川も同じことである。都市河川についてだけ言っているのではない。河川環境全体について言っている。
 議事録内の「委員」は匿名なので、誰の発言かわからないところが悔やまれるが、彼は「異質なもの、信頼性の違うもの、それから、実行性*1の違うもの、フィージビリティーの違うもの、こんな政策をどうくっつけるかというところ」にブレイクスルーがあるという。もう少し具体的なイメージを言葉にしておこう。
異質なもの→ダム・遊水地・二重堤・輪中堤などの異なるハード、他分野・他領域の技術
信頼性の違うもの→地域の安全性を一律にしない、ハード対策
実効性の違うもの→ハザードマップとか、ソフト対策など?
実行性(フィージビリティ)の違うもの→水防と治水
これらの箇条書きは、まったく十分ではないが、少しわかりやすい具体的なイメージである。そして、こういったものを「いかにつなぐか」が重要であるということだ。別に二重堤をつくることは難しくない。用地と費用の取得は難しいかもしれないが。ただ、それを全体の計画のどこに位置付けるのか?ある河川で、ある基準をクリアするには、どういった対策を、どのように組み合わせていくのが効果的なのか?そこのメタ的なやり方を考え出せば、「ドライビングフォース」が働いて、新しい治水対策が確立していく、という話だと理解した。そして、そこに現状の打開策があるかもしれない、という予感。

*1:「実効性」の誤り?フィージビリティが「実行性」だから……