天に星、地に花、川に牛

 聖牛(ひじりうし・せいぎゅう)は洪水対策のひとつ。と言っても、流量を制御するのではなく、エネルギーを制御するのである。つまり、聖牛が洪水の力を弱めて、堤防を守るのである。

 写真の場所は、多摩川宿河原堰。36年前、この対岸の堤防が決壊し、ごっそりと抉られてしまった。そういう場所。いまではその痕跡は、小さな碑としてしか残っておらず、浸水した場所にも家が立ち並んでいる。とても昔の大災害を想像することはできない。
 「牛」という名前がつく理由も今回初めて知った。僕はずっと、腹の部分に石が入っているからだと思っていたが、どうやら違うらしい。上流側の2本の木が角に見えるからだとか。
 それにしても、どうやってこんなデザインを思いつくのだろうか?「四面体にするのが安定的だ」、「石を蛇籠につめて流されないようにする」、「石を低いところに持ってくることで重心を低くする」といった評価を反射的に下してしまうが、そんなものは全然アプローチが違う。
 ダムや堤防のデザインというのは、なんとなく「わかる」。西洋科学的なアプローチは、僕らが「教育」のなかで繰り返しトレーニングして/されてきたものだ。その視点で見ると、聖牛のデザインは明らかに異質である。この不思議な牛はどうやって創られたのだろうか?
 たぶん、あるものを組み合わせていったのだろう。まず、ススキの根(茎か?)に覆われた部分の石は流されにくい、という発見があったかもしれない。それを人工的に再現しようとして、蛇篭に石をつめるという発想が生まれる。ただ、洗掘は防げても、堤防へのダメージはあまり軽減できない。
 川の中で木が流れを阻害しているのに気づく。これを再現するために、木組みを置く。しかし当然、流される。ここで、石を入れた蛇籠と組み合わせる可能性に思い当たる。こんな感じだろうか?
 直感的にわかるのは、これはコンクリートでは造れないだろうということ。いや、同じ形のものを造ることはできるだろうが、オリジナルの聖牛には性能が及ばないだろう。石と木のほうが「強い」からだ。コンクリート構造物はあまり変形を許容できないのに対し、石と木は流れの中で変形し、流れに適応しながら、流れを殺す。壊れてしまえば、それまでなのだから。
 あとは、形状だ。ここは幾何学的センスと力学的センスとが問われる。僕はどちらもないので、名もない発明者に敬服の念を抱くばかり。