地震のときのこと

 地震のとき、ちょうど駅の2階にある喫茶店にいた。お金を払って、フローズン抹茶ラテの受け取りを待っている間に地震がきた。最初は、電車が下を通っているためにおきた揺れかと思った。しかし、明らかにおかしい。
「避難してください」店員にそう言われて避難する。若いのに良い判断である。いや、同い年くらいだろうけど。明らかに動揺している彼女に、慌てないように言い聞かせながら階段を降りる。
 広場で揺れが収まるのをまった。震度4くらいか。本震でこれなら火災が起きない限り問題ないだろう。街はざわついていたが、フローズン抹茶ラテを受け取りに喫茶店へ戻る。たぶんやってはいけないことだ。しかし、店員さんはフローズン抹茶ラテをつくってくれた。ありがとう。
 そのあと、街を一周眺めて、事態を把握する。電車が止まっていることを知り、すぐに歩いて帰る判断をする。家まではかかっても3時間くらいだろう。
 こういった一連の判断が、隣に守らなければいけない人がいるということによるのか、そうでなのか、よくわからないが、ともかく、努めて冷静に、しかし、ややハイテンションで喋りながら歩いた。
 停電しても営業しているコンビニ、電車は止まっても動いているバス、そういった社会と人の柔軟性を横目に見ながら歩く。さすが日本人であると思った。
 僕は、そうした感想とか、津波の仕組みとか、日本の建物の地震に対する強さとか、そういうお決まりの話をしながら歩き続けた。上野公園を横切るとき、曇天の下、ヨシ原に鳥が飛び交っていた。「世界の終末のようだ」と彼女は冗談交じりに言った。「違う」と言っておいた。そんなに強く否定する必要はどこにもなかったけれど、そうしなければいけない気がしたのかもしれない。