顔は宇宙だ。


 岡本太郎100周年の企画「顔は宇宙だ。」展に行ってきた。渋谷パルコで20日まで開催。あまりボリュームはないけれど、「顔」をメインテーマとして、しっかりとした展示がされていた。
 写真はOKなので、いくつか撮ってきた。顔。顔というのは、その人間の意思が最も表現される部分であって、拡張して表現することで、意思を増幅して伝えることのできるアイコンだ。
 岡本太郎の「顔」たちを見るとき、いつもシーサーを思い出す。顔に込められた意思は呪術性を持っている。手にはない呪術性、腹にはない意思、肩にはない力強さである。子供のころ、電気を消した部屋で見える、光の加減で生じた影が顔に見えて怖かった。点が3つあれば、人はそれを顔と認識するとかしないとか。

 それだけ、人は「顔」に強力な意味合いを見出している。顔が伝えるための器官であり、同時に受け取るための器官であるからだろうか。あるいは、個体を識別するための標識だからかもしれない。
 後者のほうが納得率が高そうだけど、遺伝子レベルで考えたら、大きな目玉模様をつけて鳥を威嚇する虫とかたくさんいるわけで。ああいうのも岡本太郎的な「顔」に近いと思う。コミュニケーションのメインデバイスには力が宿る、というほうが自然かな。
 飛行船!岡本太郎展に行ったときはすでに売り切れていたアートピースコレクション(ガチャガチャ)。これも今回の目的のひとつ。積水ハウスの広告として製作されたけど、岡本太郎「大空はみんなのものだ。そこに広告を入れて飛ばすなんてけしからん!」と言って、社名が消されたというエピソードが。

 海洋堂の製作だけあって、パーフェクトなクオリティだ。博物館とか、美術館とか行くたびに海洋堂のガチャガチャをやっている。そこでしか買えない、という稀少価値と、思い出という無形価値をうまく結びつけて商品化してるなーと思う。
 海洋堂には、中学校のときから(=チョコエッグブームのとき)お世話になっている。チョコのなかにカタツムリとかウミウシのフィギュアが入っていたのは、今思い返すとなんともすごいことだ。