台北行ってきた

 まさかのブログ1ヶ月放置をしてしまいましたが、私は元気です。なんだろう、中間発表前で忙しかった、というか、研究をこの時期にやっておかないとヤバイな、と思って詰め込んだ、という感じでしょうか。とりあえず、直近で行ってきた台北の話でもしようかと思います。デジカメを家に置いていってしまったので、画像はないのですが、それはまあ、大してうまく写真が撮れないので、気にしない方針で。

龍山寺を訪れる。

 赤褐色の屋根に、鮮やかな緑、黄色、赤の装飾がごちゃごちゃと載っている。沖縄のシーサーに近いイメージだ。お寺に入ると、ちょうどお経が流れている。日本の平坦で厳格な雰囲気のお経と比べると、リズミカルで明るい。
 ポジティヴで明るい、というのが台湾のお寺のようだ。色づかい、お経、人々の雰囲気、どれをとっても前向きな印象を受ける。帰国直前に話を聞いたおっちゃんによると、台湾では「前向きな」教えが流行っているとかなんとか。宗教にも流行があるのか……経済的に上向きだからか?とか、そういう妙で一義的な解釈をしようとする脳の動きをとりあえず叩き潰しておく。
 燭台に置かれるのは赤色のローソク。白のローソクはお葬式のときに使うものだという。血のように滴り落ちる蝋を拭いて、新しいローソクを置く係の人がいて、なんか、そういう一生もあり得るのかな、という気持ちがほんの一瞬、心を掠める。
 龍山寺を出たあと、近くの市場を冷やかす。ほとんどが食糧品なので、買うものなどない。むせかえるような匂いは、ベトナムの市場を思い返させる。そういえば、台北にはスーパーマーケットがない。コンビニはある。交差点という交差点にはセブンイレブンがあるし、たまにファミリーマート。しかし、スーパーはない。先のおっちゃんによると、台北ではみな共稼ぎだから夕飯をつくる余裕はなく、夜市などで簡単に食べて帰るのだとか。確かに台北は夜型社会かも。

九〓を訪れる。

 もともと金鉱だった街で、石畳の階段が美しい。「千と千尋の神隠し」の舞台になった場所だとか。前から考えているのだけれど、傾斜のある都市はなぜ美しく見えるのだろうか?横浜、鎌倉、長崎とかね。もちろん都市に限らず、農村、庭園、棚田なんかもそうだ。傾斜のある土地は変化が遅く、歴史的な風景が残りやすい、ということだけではないと思う。立体感が強調されるからかな?
 午後は人生で一番高いお茶を頂き、円の強さを見せつける。隣のテーブルも日本人ですかそうですか。当てもなくさまようと、「五番杭」とかいう所に出る。なるほど鉱山跡である。思うに、九〓は商売っ気のあるところより、居住地エリアのほうが街に味があってオモシロイ。あまり観光客が入るも迷惑だろうと思って深入りはやめたが、都市に刻み込まれた時代の厚みは、圧倒的に居住地エリア>観光地エリアである。
 そろそろ戻ろうかな、という頃になって、女の子2人組に呼び止められる。ごめんなさい。中国語はわからないんです。と英語で返すと、流暢な英語で「道に迷ってしまったのですが、バス停はどちらですか?」と聞いてくる。ここまでの経験で、英語はほとんど通じないと踏んでいたので、少しびっくりする。
 地図を見せながら説明してもよくわからないようだ。英語はわかるが、地図は読めない。地図をくるくる回しながら、ウニャウニャ言っている。かわいい。そういう訳で(?)、途中まで一緒に歩くことに。なんと、小柄な子は台湾の大学院生らしく、いやなんで迷ってんの?スラっとしたもうひとりはマレーシアの子らしい。ややグローバル。もう地元で迷わないよーに。

お茶屋さんを訪れる。

 ホテルの近くにあるお茶屋に入る。というか、店の前で中を覗き込むと、巧みな日本語で連れ込まれる。もう少し治安の悪い場所なら考えるが、台湾は日本並に安全なようだ。おばさんはとても日本語がうまい。話もうまい。もうひとつ、商売もうまい。
 まあ、それは置いといて、日本語はほとんどネイティブレベル。なんでかなーと思っていると、なんと人生の半分を日本で過ごしたのだとか。しかも、シングルマザーで男の子2人を育てているという。長男はもう大学生。少し突き放して育てている。強いな、と思った。
 そういう人がお茶屋さんをやっているというのも、なかなか不思議なものだ。おばさんのお店で買ったお茶を飲みながらブログを書いているが、確かにおばさんが言っていたように、8杯出してもまだ飲める。流石である。