無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語

エレンディラ」(ガルシア・マルケス)読了。
私がいつも通り蟹を殺していると……

エレンディラ (ちくま文庫)

エレンディラ (ちくま文庫)

 道路をびっしりと蟹が覆っている様子が想像できるだろうか?僕も沖縄くらいでしか見たことがないけど、陸に棲む蟹は産卵期になると大挙して海を目指すのである。
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そういった説明は一切なく、

雨がふりだして三日目、家の中で殺した蟹の山のような死骸の始末に困って、ベラーショは水びたしの中庭を越え、浜へ捨てに出かけた。

という書き出しで始まる。「百年の孤独」で有名なガルシア・マルケスの短篇集である。いきなりの出だしで、なぜ蟹を殺しているのかまったくわからなかったが、他の短編を読み進めていくと、それはおそらく、南米では日常的な光景なのだ、ということがおぼろげながら理解される。蟹殺しすぎ。
 しかし、そうした細部のリアリスティックな描写とは裏腹に、全体のストーリーはひどく幻想的なものとなる。読む絵画、とでも言えばいいのだろうか?とても現実的なこと、生活感に溢れることを描いているのに、気がつくと幻想の世界にいる。どうやら、専門用語ではマジックリアリズムと呼ぶそうだ。
 お気に入りは一番はじめの「大きな翼のある、ひどく年取った男」と、表題にもなっている「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」。どっちも、最後はポカーンと口開けてつったってしまうような読後感が、なかなかシュールである。
 祖母に売春を強制させられ続けてきたエレンディラは、終盤、彼女に思いを寄せる男に祖母を殺させる。素直だったはずのエレンディラが解放された瞬間である。彼女はすべてを越え、すべてを捨て、走り去る。その行為は、自由の希求でもないし、かといって単なる逃走でもない。そもそも「行為」と呼べるものだろうか?むしろ、なにか人間を超えた存在に昇華してしまったような感じすら受ける。こうした感覚が、神話的、あるいは魔術的と言われる所以だろう。