内定式のコトバ

 「式」がおもしろくないのは、形式に拘りすぎるからだ。何回かの入学式、卒業式を繰り返してきて、有意義だと思ったことはひとつもない。数ある式のなかで覚えているのは、高校の卒業式で「少子化対策として、子どもを3人もちましょう」とPTA会長が言ったことくらい。そういう意味では、内定式は、人生で一番おもしろい式だったかもしれない。

work-life balance よりも work-life integration

 今から思い返してみると、就活では「どういうスタイルで働くのか?」にけっこうこだわっていたのだな、ということがわかる。最後まで迷っていたベンチャー企業も、work-life balanceの話はよく聞かされた。ジョブの日程真っ最中に、社員の方が「イクメン」関連でテレビに出ていたのはいい思い出。責任は引き受けるから、自由に仕事と生活をコーディネートしたいっていう気持ちがあるようで。
 内定式でのお言葉。work-life balance よりも work-life integrationだ、と。work-life balanceは、workとlifeを天秤にかけている。しかし、いつからworkとlifeは対立する存在になったのだろうか?確かに、両者が無秩序に入り乱れるのはよくない。家で仕事の話ばかりしたり、職場に家庭の事情を持ち込むことは良い結果を招かないだろう。
 しかし、家庭での問題解決に仕事の方法をアレンジして用いることは?趣味の時間に得たアイデアを仕事に活かすことは?考えようによっては、現代の仕事の仕方が、無理に「人生」を引き裂き、workとlifeとにバラバラにしてしまったようでもある。それゆえに、work-life integration。統合することで、もっとよい生き方が見つけられるのではないか。だいぶ自分の考えも混じっているが、このような話であった。

就活生の残骸「フレームワーク・モンスター」

 内定式の予定に組み込まれた「グループワーク」の文字。皆が気になっていた。お題が発表されると、皆の顔がマジになる。あまり、人のことは言えない。しかし、蓋を開けてみると、無残なグループワーク。みんな、選考過程での頭の回転はどうしたの?
 特に気になったのは、フレームワークは使ってみるものの、中身の伴わない形だけになってしまうもの。プレゼンの絵は描けるが、ストーリーは描けていない。ディスカッション中の参加率の低さ。どれも、就活中に陥ってはいけない、と言われてきたものばかりだ。
 今回は職種が違う人もいるとは言え、だとしても、である。どうして、このようなことになってしまったのだろうか。話を聞くと、どうも僕らのグループだけではないらしい。わかっているのに、コントロールできないのは悔しいことだ。やはり、無理やり詰め込んだものはモンスター化しやすいのだろうか。


教育に飽和点はない

 この日、耳にした言葉で最も印象に残っているものが、これだ。教育に飽和点はない。IBM創始者トーマス・ワトソンの言葉だそう。やはり、人間の可能性を限定しない言葉に強く惹かれる傾向があるようで、まだ中二病やってて大丈夫なんだろうか。
 この言葉のプロフェッショナリズムは、「学習」に飽和点はない、ではなく、「教育」に飽和点はない、と言っているところにある。つまり、視点が、学習者のものではなく、教育者のものなのだ。
 教える立場に立つとき、教育者は「飽和点」を設定してしまうことが多い。意図的ではないにせよ、教育者が設定するゴールを目指すように、他の部分を削ぎ落してしまう。それが、本来学習者の望む道だったとしても。しかし、飽和点を設定しない、ということは、その可能性の芽をつまない、ということ。
 もちろん、被教育者は「飽和点が設定されていること」を敏感に感じとる。だから、教育者みずからが、「飽和点はない」と示すことが大切なのだ。そのようなスタンスの教育者がいる環境は、きっと望ましいものだろう。