昭和のヒーローゴジラとしては満点、だけど、そこには「ゴジラ」に固有のメッセージはない。

けっこう、イマサラ感ありますが、ゴジラ(ハリウッド2014版)見てきました。ちゃんと怪獣映画してて良かったです。

これは、昭和のヒーローゴジラ

 Empireゴジラ特集を読むと、東宝とのお約束として、(1)核に関連する事故によって目を覚ますこと、(2)その事象は日本で起こること、ということだったそうで。これが、実は東日本大震災より前の約定だった。福島の原発事故は、間違いなく開幕として相応しいイベント。

Empire [UK] April 2014 (単号)

Empire [UK] April 2014 (単号)

 これを、日本人が作れなかったというのは、「いいんでしょうか?」と少し思う。ドキュメンタリーは多くつくられたのだと思うけど、原爆に呼応して1954年版ゴジラがつくられたように、フクシマに呼応して2010年代のゴジラが日本人によってつくられなかった、というのは、複雑な気持ちではある。
 と、見始めは思ってたんだけど、途中で、そうでもないな、と思った。なぜって、これ、結局、昭和の「ゴジラ対○○」をリスペクトしてつくられている。そういう意味で、エンタメとして、すごくよくできてる。ネタバレしますが、「ゴジラじゃなくてMUTOだった!」とか「熱線放射時に背ビレが光る演出!」とか「口移し放射熱線!」とか、見どころに事欠かない。

1954年の「アンコントローラブルな」ゴジラではない

 なので、よくもわるくも、これって日本の、1954年の「ゴジラ」じゃないよなーと。そりゃそうだろって思うかもしれないけど、なにが違うって、前も書いたけど、1954年のゴジラはやっぱり「アンコントローラブル」な存在なんだよね。その後、アンコントローラブル成分は昭和の「ゴジラ対○○」で失われていって、最終的には人間のヒーローと化してしまうんだけど、2014版ゴジラは、この毒気の抜かれた、ヒーローゴジラだ、と思う。昭和のヒーローゴジラをリスペクトしているんだろうけど、それはちょっと、もったいない、というか、秀作にはなるけど、それ以上にはなれないんじゃないか、という気がする。
 しかも、日本じゃなくてアメリカなんだから、事態をコントロールしようとするに決まってる。すごーく印象的だったのは、ゴジラが泳いでいるのを、アメリカの空母が護送しているシーン。あー、こうなるのかーって思った。このシーンって、米軍が他国の船を護送しているのと同じように見えるんだよね。
 いくらゴジラがコントロールできないって言っても、それはアルカイダをコントロールしきれない、ISISをコントロールできない、みたいなもんで、最終的には圧倒的なマネジメント能力と軍事力でなんとかしちゃうんだろう、というか、現実としてはもしかしたらそれで正しいのかもしれないけど、それって、1954年のゴジラじゃないんですよ。いくら芹沢博士(新)が、あいつは人間にはコントロールできませんよ的な発言してたって、結局米軍なんとかしちゃってるじゃん、と思う。いやまあ、それがアメリカなんですよ、というのは、まあそうなんだろうけど、そこには「ゴジラ」に固有のメッセージはない。disastrousなことが起こって、それをなんとか収束させるのは、別に他のすべてのハリウッド映画がどれもやってることだ。なんでみんな「この話はガンダムでやる必要がない」って言うのに、「この話はゴジラでやる必要がない」って言わないんだろう?怪獣映画に飢えてたからかなあ?
 しつこいけど、1954年のゴジラを止めたのは、日本の軍事力じゃなくて、オキシジェン・デストロイヤーじゃなくて、芹沢博士だ。結論。まあ、ゴジラにはもっと暴れてほしい、ということで。

S.H.モンスターアーツ ゴジラ (2014)

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