環境に手を加えたあとの感想

 今日はしばらく訪れていなかったフィールドを訪れた。変わっていた。変わっているのは当然だ。人の手を加えているのだから。しかし、今日は、雑木林の質的な変化のようなものを見た。
 変化量として見るなら、木を切り倒したり、草を刈ったときや、小さな堰堤を造ったときのほうが大きかった。しかし、明らかに量的だけではない違いがある。確かな種名は分からないけれど、明るい環境を好むのであろう植物が斜面を覆い、黄色く色づいていた。ランのようなものもちらほら見かけた。里山の残骸とでも言うような、偏向遷移*1の進んだ雑木林のなかにあって、その場所は良い意味で異質な空間になっていた。
 景観が良い方向に変化していくのを観察できる機会は少ない。自然景観の話に限定すれば、景観の変化に気づくには年単位での、継続した観察が必要だ。もちろん、景観というのは景色や風景とは違う言葉。景観が変化するというのは、「紅葉した」とか「つくしが生えてきた」とかそういうことではなく、地形や植生といった基盤が変化し、様相が変化するということだ。
 こういう意味で、景観の悪化は瞬時に可能だが、景観の改善は難しい。だいたいどっちの方向が「良く」て、どっちの方向が「悪い」かなど一概には言えない。フィールド活動でも、「生物多様性指数が大きくなるように」とか、そこまでいかなくても「林床に光が届くように」といった部分では意見が一致する*2けど、それより曖昧になると、もう個人の感性の問題だ。
 そして、もうひとつ。景観に対する責任感を感じた。これまでの活動でも景観は変わっていたが、それは直接手を加えてきた部分のみだ。しかし、今回見たのは、それらの結果、自然の力のかかり方が変化した結果だ。自分の力が間接的に働いているとき、責任感を強く感じる。理由は、いずれ考えよう。
 環境の変化は目標に向かって進んでいるようだし、当然、頭では分かっていたことだ。しかし、実際に目の当たりにすることで、やはり可能なのだ、というか、頭の中で組み上げたイメージの再構築を迫られる、というか、まあ、なんかそんな気がする。

*1:通常の方向とは異なる方向へ進む遷移。例:タケのみ、ササのみ、クズのみ、動物の食圧で安定するなど

*2:都市の景観はもっと難しいと思う