都市河川巡り

 ここのところ、都市河川巡りをしていた。「都市河川」というものに明確な定義はないと思うのだけど、イメージとしては、都市のなかを流れていて、人が水面まで降りていけないようなものだろうか。

 写真は目黒川。それはお花見というのではないか?いや、都市河川を見に行ったはず。ちなみに、上流に行くと暗渠化、つまり蓋をされている。そういった場所でも、橋の名残で道路が盛り上がっていたり、右岸側と左岸側で家の入口のスタイルが違っていたりと、過去からの慣性力が働いているのを確認できる。
 僕のなかでは、川と言ったときに思いあたるイメージは、ある程度大きな川の中流くらいである。しっかりした堤防こそあるが、その間には河原が展開できるだけの広さがあって、礫河原があり、植生もそれなりにある、というものである。
 当然のことながら、都市河川ではそれが通用しない。道路から水面までは高低差にして数mもあり、降りていける場所などないし、あまり降りたいとも思わない水質であることも多い。
 しかし、一番衝撃を受けたのは、僕自身がそういった都市河川を「川」として認識していないことだった。もちろん、そういった都市河川が水をはやく海まで流してしまえばいい、というベクトルでデザインされてきたのは確かだが、本来的には、そういった都市河川も「よりよい形」が存在するはずである。しかし、その形について、自分が具体的なビジョンを描けない、ということに衝撃を受けたのである。これが、河川区間に余裕のある大きな川の中流であれば、少しはビジョンが湧くのだけれど、構造物が川に迫り、水面を見るのも難しいような都市河川では、どうすればいいのかまったくわからない。
 再生事業もどきをしているところもあったが、ひどいものだ。下水の処理水を流すのはいい。しかし、本来の河道は暗渠化され、その上に水を流し、公園にしている。「公園」としては良いが、あくまでも公園である。植物はほとんど園芸種、魚はコイだけ。それは公園であって、河川ではない。
 そういった事業を批判するつもりもないが、じゃあ「川」は不要なのか?という疑問は湧くし、二重に水を流す、というのもシンプルに考えて変だし、なにより、地形的にあるべき場所に流れていない、という不自然さが際立つ。
 本来あるべき場所に流れていない、という視点で考えると、川が自然な状態で持っていた機能の欠落にも気づく。少なくとも、周辺の雨水を流下させるという最もベーシックな機能さえ、ほとんど果たせないのではないか。撹乱に依存するような河川固有の生物は生息出来るのか?機能ということで言えば、アスファルトの上の川と、アスファルトの下の川で、機能が別々になっている。これは、スマートではない。さて、答えはどちらの方角にあるのだろうか?