日本の水制

「日本の水制」(山本晃一)読了。
「水制」の現代的な意味とはなんだろうか?

日本の水制

日本の水制

目次
第1章 水制技術のあゆみ
第2章 水制設置場の特性と水制の水理
第3章 いま水制は
第4章 これからの水制

 えらくマニアックな本だ。水制。土木構造物である。川に流下方向と直角に配置し*1、川の流れをコントロールし、護岸を守ったり、洗掘を防いだりする。今でこそ、治水といえばダムや堤防であるが、昔から、優れた土木技術者は水制に注目してきたとか。そういう水制の話が400ページも続くのだから、驚きである。

 治水と言えば、環境に悪い、というステレオタイプがつきまとう。ダムはどんなに環境に配慮しても川の仕組みを大きく改変することは避けられないし、護岸は川の流れを単調にし「残念な平瀬」をつくりだしたりする*2
 もちろん、そういう犠牲でどれほどの人の命、財産が守られるか、といった効果バランスの話はあるが、ここで言いたいのはそういうことではない。水制は多様な環境を創出できる技術なのではないか、ということだ。
 第4章「これからの水制」では、これまでの「治水のための水制」を越えた、「治水と環境のための水制」が提唱される。水制はその形状と配置ゆえに、流れと地形に多様性が生まれる。水制の先端は深掘れするが、背後は土砂が堆積し、水深の浅い場所と深い場所がグラデーションをもってつくられる。こうした場所は、多様な生物の生存を許容する。浅場は稚魚・幼魚のハビタットとなるし、砂地を好む魚にとっても、礫の多い場を好む魚にとってもそれぞれに適した環境がつくられる。あまり綺麗事ばかり書くと、行政の公開用資料のようで現実味を失いそうであるが、実際に水制はそういうハビタットを創出している。

木曽川の水制。これを見てもらうと、流れと垂直な方向に、複雑な陸地ができているのがわかる。これが良いのである。地形や流れが多様になれば、当然そこに生息する生物も多様になる*3

したがって、当初は水制をよみがえらせようという意図はなかったのであるが,過去に設置された水制の現状調査を行う中で,これを新しい設計概念でよみがえらせることが可能であり,かつそれを実現化することに意義があると考えるようになった.

著者はあとがきでこのように述べた。水制という技術を日本に持ち込んだのは、デ・レイケなどのお雇い外国人であると言われている。土木構造物の息は100年スパンであるから、彼らの残した水制も、未だに各地に残る。当然のことながら、今日的な意味での「環境への配慮」は存在しなかったはずだ。しかし、そこには多様なハビタットが生み出され、生命を育んでいる。ある研究者の方がおっしゃっていたのは、「デ・レイケはそこまで見通していたのではないか、想定していたのではないか」ということだ。あまりに希望的すぎて、そんなことはおそらくないと思うのだが、本来的にそうあるべきと思うし、また、そのようにありたい、と思う。

*1:正確には、やや上流向きとか、やや下流向きなどがある。

*2:水深の一様性が高く、魚類の生息に適さない。

*3:生息場所多様化仮説