虐殺器官
「虐殺器官」(伊藤計劃)読了。
主人公の言うことを鵜呑みにしてはいけない。
- 作者: 伊藤計劃
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/02/10
- メディア: 文庫
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世界各地で死を囁く男ジョン・ポールは、言語のなかに一定のパターンを見出していた。それは人類が進化の過程で獲得してきた*1、遺伝子レベルでもとから存在する性質。それこそが虐殺器官。そこを言語を通してコントロールすることで、平和な社会でも虐殺を引き起こすことができる。
エピローグ。ジョン・ポールの件の後、主人公はこう決意する。ジョン・ポールがアメリカ以外を守ると虐殺を決めたように、アメリカを守るために虐殺を行うのだと。そう、主人公は独白していた。それは本当だろうか?いや、もちろん「嘘だ」とはどこにも書いていない。
とても辛い決断だ。だが、ぼくはその決断を背負おうと思う。ジョン・ポールがアメリカ以外の命を背負おうと決めたように
この、言葉の軽さ。歯が浮いたようなエピローグ。なにかがおかしい。彼は虐殺の光景に苦悩していた。だが一方で、
ぼくは、その光景を想像して、不思議な安らぎに包まれている自分に気がついた。それは、ぼくが見る死者の国の夢と、そう変わらない風景だったからだ。
その光景。それは、死者が累々と積み重なる地獄絵図である。「ジョン・ポールは終末に惹かれているよう」そう主人公は語った。しかし、主人公もまた、終末に惹かれているのではないか?そもそも、なぜ主人公は特殊部隊なんかに入ったのか?納得のいく説明は無い。
虐殺器官が人類にプリインストールされているように、主人公ももともと、そういった志向(嗜好?)の持ち主であったのかもしれない。その光景を世界に再現するために、主人公は虐殺器官を行使した。彼の想像する「ジョン・ポール」は自分自身のことであったのだ。
最後に、個人的な意見を付け加えると、「人間は本来的にこうである、故に為す術はない」といった姿勢は僕の好むところではない。もし仮に虐殺器官なるものが人類にもとから備わっているものだとしても、それを否定し得る意志が、それを拒絶し得る自由が、「人間」としての本質であると考えている。
「人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもある」とも言えるし、あるいは「われわれは遺伝子機械として組み立てられてきた。 しかしわれわれには創造者にはむかう力がある。 この地上で、唯一われわれだけが、 利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである」*2ということである。
*1:「利他的行動とバランスを取るために」とあったが、そんなバランスは必要なく、遺伝子にとって有利であればそうした行動が広まることは自然だろう。どうも遺伝子レベルでなく、個体レベルで進化論を捉えていたところが気になった。SFだからこそ、細かい設定はしっかりしてほしかったな。